blog.berlysia.net-[見果てぬ夢]を受容する
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[見果てぬ夢]を受容する

  • シンデレラガールズ
  • 喜多日菜子

この記事は、コミックマーケット104で頒布された喜多日菜子合同誌2024に寄稿した記事を、簡易に調整したものです。公開可能期日を迎えたので公開します。

この記事はもともと縦書きで読まれることを意図して書かれたので、縦書きのレイアウトを優先して表示しています。ページ右上の矢印ボタンから、横書きで読むこともできます。お好みに合わせて調整してください。


二〇一八年八月十七日。[見果てぬ夢]喜多日菜子のお披露目とともに、ふたつの衝撃がもたらされた。

  • CVキャスト深川芹亜さんの発表と、その演技による声のお披露目。
  • 喜多日菜子がプロデューサーを「王子様」と呼んだこと。

彼女がプロデューサーを「王子様」であると、少なくとも発言として示したことは、それまでの流れをどのように受け取るにせよ、喜多日菜子とプロデューサーとの関係性に明瞭なジャンプがあることを印象付けた。おそらく少なくない割合の「喜多日菜子担当プロデューサー」たちは、この明言との付き合い方に難儀することになった。 本稿は、この衝撃を筆者の視点から記録し、受容の一例を示す。


ソーシャルゲームとしての『アイドルマスターシンデレラガールズ』(以下、モバマス)がサービスを終了して、本稿時点で一年が経つ。七年半にわたる並行運営ののち実質的にあとを継いだアプリゲーム『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』(以下、デレステ)にも同様のアイドルたちが登場するが、彼女たちの描かれ方はそれぞれに媒体間で差異がある。

登場媒体ごとのアイドルを同一人物とみなすか、それとも同一の魂を持つ並行世界の人物のように受け入れるかは流派が分かれる。特にモバマスにおいては、長期間の運営のもとでキャラクター性が見直されることもあり、その前後でのキャラクターの連続性についても受け入れ方には余白を残していた。

こうしたギャップの存在を前提にしても、喜多日菜子という人物を改めて語るとき、「妄想」や「王子様」というキーワードに触れないまま済ませることは難しい。このふたつのキーワードが彼女を描くうえでの核心を特段になしていると考えて、この先の話を進める。

モバマス世界を中心に見る喜多日菜子像

先述のように、モバマスにおける喜多日菜子の人物像は、その登場時期によっていくらかの変遷をたどる。ここでは登場機会を次に示す三つの時期に分けながら追い、その時点での描かれ方を確認する。

  • 黎明
  • 晴れ上がり
  • 転換

喜多日菜子の黎明

いわゆる無印Rの初登場時点で、喜多日菜子は「王子様」に迎えに来てもらうことを夢に見ており、そのように迎えに来てもらえる存在、すなわちお姫様になるためにアイドルになったことが、アイドルコメントから直ちに読み取れる。いささかの論理の飛躍はあるものの、猛烈なスピード感の演出ともとれる範囲ではあろう。

日菜子がアイドルですかぁ~?アイドルと言ったら…つまりシンデレラですよねぇ…シンデレラってことはお姫様ですよねぇ…つまり日菜子の前に王子様が現れちゃうわけですよぉ…むふ…むふふふ…

(R喜多日菜子 アイドルコメントより)

さらにモバマス作中のシステムにおける親愛度関連のテキストを追っていくと、徐々にプロデューサーに対する視線が「王子様」というキーワードに結びついていく。この時点では趣旨として「プロデューサーが日菜子の王子様なんじゃないか」という勝手な期待を述べるものになっていて、まさしく彼女の「妄想」の域を出ない。

あの、日菜子思ったんですけど……○○さんが…日菜子の白馬の王子様なんじゃないかなぁ…って…むふふふ♪

(R喜多日菜子 親愛度MAX演出より)

続いて登場したSR[妄想お姫様]においては、先述の流れを汲みつつも、あらたにプロデューサーを指して「魔法使いみたい」という表現が初めて登場する。童話『シンデレラ』における、シンデレラに魔法をかけてお姫様の姿にした「魔法使い」になぞらえてのことと言え、この程度は他のアイドルにも共通してみられる言葉遣いである。

○○さんは日菜子をお姫様にしてくれた魔法使いみたいですけど…日菜子には王子様の方が…むふふっ♪

(SR[妄想お姫様]喜多日菜子 親愛度MAX演出より)

SR[妄想☆暴走★]では、プロデューサーと「王子様」の当時時点での微妙なバランスが記述されている。プロデューサーが「王子様」であると確定まではさせないが、妄想の世界では「王子様」が務める役割を、プロデューサーに対して求めてくる。特訓後の親愛度演出においては、暗にプロデューサーが「王子様」であることを期待して、「王子様」が日菜子に気づくように仕向ける様子がみられる。

プロデューサーと「王子様」のバランス感覚は、この後長きに渡り[妄想☆暴走★]に描かれたラインが維持されていく。喜多日菜子にとってプロデューサーは「王子様」ではないかという期待があり、この期待のもとにプロデューサーと彼女の距離感は演出される。

喜多日菜子の晴れ上がり

SR[ビューティフルドリーマー]の頃を境に、喜多日菜子の妄想との付き合い方がはっきりと健全化した。妄想に耽溺するばかりでなく目の前にある現実を意識していることが強調される。後に喜多日菜子の標準の立ち絵にもなったR[グリッターステージ]では、とくにプロデューサーを指して「日菜子の大切な現実」という表現もあり、プロデューサーとの関係には「王子様」に対する期待も引き続きありながら、現実的なパートナーシップとしての面を思わせる。

喜多日菜子が目指すアイドル像がはっきりしたのもこの頃だ。[ビューティフルドリーマー]は、アイドルとしてステージに立つ彼女の姿を描いている。自らの妄想力はイメージトレーニング等に活かしつつも、自分だけでなくファンを楽しませようという意欲が語られる。[グリッターステージ]でもこうした意欲が再確認でき、「ファンのみんなをキラキラの世界に連れてくためにステージに立つ」と述べ、これは自らが妄想すること以上に楽しいことなのだと述べる。これがアイドル喜多日菜子の晴れ上がりの瞬間である。この後もこの「キラキラ」という言葉は、喜多日菜子を照らす現実の輝きの表現として、モバマスの世界において長く使われる。

この「キラキラの世界」という表現の対になる言葉に、「日菜子ワールド」や「日菜子わーるど」という言葉がある。SR[妄想お姫様]の頃から言及があり、SR[妄想☆わんだふる]以降に再度現れるようになった。みんなを日菜子が言う「むふふ」な気持ちにさせ日菜子ワールドに誘うこともまた、アイドルとしての喜多日菜子が成していくことに挙げられる。モバマス世界ではこれらふたつの世界は区別があるように見受けられるが、デレステ世界ではこれまでこの「キラキラ」の用例はないことを付記しておく。

この後いくつかのSRやRが追加される。この中で和風洋風ファンタジーとさらに日菜子の妄想劇場は幅広さを増していくが、本稿の趣旨には大きく影響しないため、ここでは省略する。

喜多日菜子の転換

喜多日菜子と「王子様」の関係を新たなステージに至らしめたのが、SR[見果てぬ夢]だった。黎明のころには「王子様」に迎えに来てもらうことを夢見ていたのが、特訓後イラストにおいては日菜子自ら王子様を探す冒険に出る様子が描かれる。後の登場機会SR[どうぞ、お手を…]では王子様に見つけてもらいたい姿勢も示されており、ロケーションと合わせたミステリアスな令嬢を好演した。SR[ファンシーポリス]が直球に「相棒」という言葉に示したほか、他の登場機会を追っていっても、喜多日菜子とプロデューサーの関係はよりはっきりと信頼によって繋がり、プロデューサーはともに歩んでいく相手という認識が読み取れる。この後の作中での展開は、いわゆる「喜多日菜子担当プロデューサー」にとっては、大筋に好意的に受け取られたと理解している。

ところが、[見果てぬ夢]の思い出エピソードはその一部が困惑を持って受け取られた。とりわけ喜多日菜子を長らく応援してきた者たちにとって、その一部は極めて重要であった。これが本稿冒頭における、喜多日菜子がプロデューサーを「王子様」だと呼んだことを指す。

喜多日菜子にとっての「王子様」とは何であるか

ここまで単純に喜多日菜子の周りにある「王子様」を指してこのように括弧書きをしてきたが、このひとつの表現が差し示す存在は、いくつかに分類できる。

  • 一、抽象化された物語に描かれる王子様。素敵で優しくて、外なる世界へとお姫様を連れ出してくれる人
  • 二、喜多日菜子の運命の人としての王子様。第一の王子様のように素敵で優しくて、実際に日菜子の人生に現れて一緒にいてくれる人

黎明の頃を思うと、プロデューサーについては第二の王子様であることを期待しつつも、他のアイドルと同様のニュアンスで「魔法使い」と呼ぶこともあった。これが意味するところは、彼女たちを日常からアイドルの世界に誘うことや、より実際的には仕事や衣装を用意してくれることを指す。

より困惑した「喜多日菜子担当プロデューサー」たちの視点に近づけるならば、喜多日菜子がアイドルとしての活動を通じて、運命の人たる第二の王子様に出会う旅路を支えることを意図してきた者たちが少なからずいたのだ。だから喜多日菜子がプロデューサーを指して「王子様」だとした宣言には、「そうじゃないつもりなんだ」「どうして私が王子様だと思うようになったんだ」という反応になったのだろう……と当時を想う。

さて、今になって日菜子の言葉を追い直してみれば、ここには大きな眼差しの変化があることに気付く。プロデューサーは、外なるアイドルの世界に日菜子を連れ出してたくさんの妄想を叶えてくれた人だ。それはまさしく物語の中の王子様がお姫様に対して向けて愛情を伴ってやることだ。だからプロデューサーは日菜子の「王子様」なのだ、運命の人なのだ、と言っている。このやり取りからは、第三の「王子様」の意味を見出しうる。

  • 三、日常からアイドルの世界へ、外なる世界へと喜多日菜子を連れ出してくれる人

第三のと説明したが、[見果てぬ夢]の周辺テキストを思うに、この時点ではどうやら第二の王子様のニュアンスも含まれているように思える。今思えば、単純に喜多日菜子担当プロデューサー層が日菜子に向ける眼差しについて、読みを誤ったのであろう。先述した「ともに歩んでいく相手」「最大級に信頼のおける人」という方向に、後の登場機会でもって軌道修正されていった。

私たちが日菜子に運命を選ばせた

あなたがこれまでやってきてくれていることは、物語の王子様がやることそのものですよ、という最大級の賛辞にして、「魔法使い」やその他多様な自己認識に一石を投じる日菜子の宣言は、最初から第三の意味で伝わったとしても、やはり衝撃をもたらすものだったろう。そして同じように、「それでも私は日菜子の王子様ではないんだ」と受け取ることもあったろう。[見果てぬ夢]後の軌道修正は、そうした眼差しを受容しようという試みだったといえる。しかしこうなってしまうと、日菜子とプロデューサーの関係の未来において、再び「あなたが王子様です」「いいえ違います」というやり取りが起こりかねない。

ところで、魔法使いだと思っていたら王子様になった、という展開を私たちは知っている。喜多日菜子のソロ楽曲『世界滅亡 or KISS』だ。世界を滅亡させる呪いを受けるという少々荒唐無稽な導入から、魔法使いの魔法で王子様のキスを求めることになり、紆余曲折の果てにずっと陰から支えていた魔法使いに窮地を救われ、絆を結んできた魔法使いこそが私の王子様だ、という選択に至る。[見果てぬ夢]後の軌道修正でも絆を育んでいく路線は強調されていることを思っても、「喜多日菜子担当プロデューサー」たちのリアクションがこの曲の内容を左右したかもしれないと思うと、あの日の私たちの困惑もまた、無駄ではなかったのだろう。

終わりに

喜多日菜子というアイドルに着目するにあたり、[見果てぬ夢]という転機に対して一定のスタンスを持ちたいというのが、本稿を書く動機となった。胸のつかえが下りた心地だが、読者のあなたにも何らかの示唆があればうれしい。

妄想を巡らせ運命を待つ日々から、運命を自分の意思で選び取らんとするに至る日菜子の——あえてこう呼びたい——成長をもって、モバマス世界の喜多日菜子の、筆者視点での総括とする。

二〇二四年八月吉日 berlysia

寄稿記事の公開によせて

公開日である本日46日は喜多日菜子の誕生日です。私事ながら、2025年をもって、喜多日菜子と出会って満12年を迎えました。

アイドルマスターというコンテンツ自体の歩みも、シンデレラガールズというブランドの歩みも、様々な意味で変化してきています。変化しながら歩んでいるということが、喜ばしいことです。

喜多日菜子という人物の歩みもまた、最初の気持ちを大事にしながらも、各種展開やテキストから、深川芹亜さんの絶大な貢献もあって、その幅を、世界を広げていっています。

私たちの人生にも様々な変化があり、彼女との付き合い方もまた少しずつ変わってきて、今があるはずです。私も少しずつ変わりながら、日菜子の歩みに負けぬよう、歩んでいきます。

最愛の同志にしてライバルへ。誕生日おめでとう。